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2019.05.19 (日) 21:11

ILOL

2011.03.28 (月) 20:30

北広島市が東北地方太平洋沖地震に係る個人支援物資を受入

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東北地方太平洋沖地震に係る個人支援物資 の受け入れについて
北広島市では、東北地方太平洋沖地震により被災した方々を支援するため、3月19日に市の備蓄品の一部を被災地(宮城県)に送りました。その後、被災地の受入れ状況の情報が確認できませんでしたが、被災地からの要望品目が示されたことから、急きょ北海道と調整を行い、個人の方々からの支援物資を受付け、被災地に搬送することとしました。また、一部は、市内に避難されてくる方々への支援物資としても活用させていただきたいと思います。

なお、受付けさせていただく支援物資は、被災地からの要望品目である「指定品目」に沿って、受付をさせていただきます。


<受付日時>
(1)平成23年4月2日(土) 午前10時~午後3時
(2)平成23年4月3日(日) 午前10時~午後3時

<受付場所>
北広島市総合体育館 1階ロビー
北広島市共栄315番地2
電話:(011)372-0808


<受付け物資>
このたびの支援物資につきましては、
①指定された品目のみ、
②未使用、未開封に限り、
③同じ種類の商品を箱(包)単位で、寄付を募りますので、
被災地に速やかに 支援物資が届くよう、市民の皆様のご協力をお願いします。

◎ 指定品目
(1) 食料品(賞味期限が3ケ月以上のもののみ)
①インスタントラーメン(1箱単位または5袋入パック単位)
②カップ麺(1箱単位)
③缶詰(同一種類で梱包または段ボール1箱単位)
④粉ミルク(1缶単位)
⑤真空レトルト食品(1箱単位または数個パック単位) (2) 生活用品(未開封のもののみ)
①トイレットペーパー(1包み12個~18個単位)
②箱ティッシュ(1包み5個単位)
③生理用品(1包単位)
④紙おむつ(子供用、大人用とも)(1包単位)
(3) 学用品(未使用のもののみ)
①ノート(1包単位)
②筆記具(シャープペン、ボールペン、鉛筆、1箱単位)
③消しゴム(1箱単位)

注意事項

※「指定品目」以外は、お受けできません。
・被災地の要望以外のものは、被災地での処理に人手や費用がかかり、迷惑をか
けることになります。
※ 未使用、未開封で、箱(包み)単位での寄付をお願いします。
・安全面や衛生面の観点から未使用、未開封のものに限らせていただきます。ま
た、箱単位で寄付いただくことにより、避難所等に必要数を素早く公平に配分
することができ、被災地での手間が大幅に省けます。(中身が満杯状態でなくて
もダンボール箱に入れお持ちください。)
※ 学用品については、段ボールに①~③が混在してもかまいませんが、必ず内訳
を添えてください。
※ 今回の個人物資の受入作業は、市職員のほか職員OB及び社会福祉協議会のボ
ランティアでの対応とさせていただきます。


<お問い合わせ先>
北広島市役所市民環境部市民生活担当
電話:(011)372-3311(内線700)

2010.09.05 (日) 15:33

クラーク博士ってどんな人?

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クラーク博士は1826年6月、アメリカ・マサチュウセッツ州アッシュフィーで生れました。
 1848年にアマスト大学を卒業して、ドイツのゲッチンゲン大学に留学し、1852年に学位をとりました。
マサチュウセッツ州に戻り母校で働きましたが共和党員だった彼は南北戦争時には教授を辞職して大佐となりました。
北軍クラーク大佐は能力と武勇は高く評価されて陸軍准将に推挙されますが彼はそれを断り退役をしました。
その後マサチュウセッツ州立農科大学の設立に関係し、1867年に学長となります。そしてアマスト大学は彼を認め、名誉博士号を贈りました。
 そのころ明治政府は北海道の開拓使長官に黒田清隆を任命しました。彼はアメリカ開拓精神に深く影響され、将来の開拓事業の指導者となる青年を養成する必要性を感じ、大学教育に経験を持つ人材を探していました。
1876年(明治9年)クラーク博士50才、彼と日本政府の協定がなされ、専門学校設立と運営のために日本に2人の教授を従えて来日しました。
 学校は第1期生16名の学生で9月に始まり、彼は初代教頭に就任しました。北海道開拓史が考えていた規定や規則を聞き、
「こんな規則や取締りで人間を造ることはできない」「Be gentleman」の2語だけを与え、学生達は紳士として扱いました。
彼の教えは自分が体験した興味深い話しをし、青年の心に本で教えられるより、遥かに深い印象を与えるものでした。
この自由な教育が北海道開拓に残る・フロティアスピリッツのシンボルであります。

1877年(明治10年)クラーク博士はアメリカに帰国します。

クラーク博士の逸話ですが帰国後、大学創設を目指したが資金面で挫折しまいます。
その後、資金調達のために出資者から資本を集め、会社を設立して7つの鉱山をの経営しましたが1年半で倒産してしまいます。
出資者の叔父から詐欺で訴えを起こされ、社会的信用も失われました。

クラーク博士は帰国からわずか9年後、1886年(明治19年)59歳で生涯を終えたそうです。

2010.08.06 (金) 13:21

札幌観光幌馬車

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札幌市中心部で3年ほど前まで北広島市で「ラーメン味一番」を営業していたのナベさんに会いました。
なんと!!札幌観光幌馬車のギョシャナベさんに!!感激です。

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